こんにちは。
冬眠から春眠に移りたいそれなぁんといいます。
もう春がやってきたようでして、先日大きなニホントカゲを見かけました。
捕まえようとしたけど無理だった。
写真撮りたかった…
そんな最近だが、ネットの記事だったかテレビだったか忘れたが「共感的羞恥」のことを目にした。
皆さんもなんとなく意味を聞いたことあるかもしれないが、それがとにかく自分に当てはまる。
「あるある~!」「それな!」と語彙力0レベルで同調したくなるくらいに分かりみが深すぎるのです。
これは病気とかのカテゴリーではないだろうが、かといって普通でもなさそうなので私の経験を基に語ろうと思う。
共感的羞恥とは何なの?
一応どういうものなのか、少し調べてみる。
愛知学院大学大学院
2009 第 17 巻 第 3 号 311–313 ショートレポート
© 日本パーソナリティ心理学会 2009
「共感的羞恥と心理的距離 」という桑村幸恵氏の文献を参考にさせていただいた。
1987年にミラーという人が「共感的羞恥」と名付けたようです。
難しい意味があるのではなく、「他人の恥ずかしい姿を見てまるで自分がその立場であるかのように恥ずかしく感じてしまう」ことです。
参考文献の中に一つの例として、「お酒で酔っ払った友人が大声で歌い始め、それが恥ずかしいから止めようとする」ことが挙げられていた。
これは多くの人が共感できることではないかと思う。
「止めてよ恥ずかしいから…」
そう言われているシーンを見たことない人はいないでしょう。
あれも共感的羞恥ならばほとんどの人は当てはまることなのだろうか?
とはいえ、単に迷惑だから止めるという理由もあるので必ずしも全員がそういう訳ではなさそうです。
それに羞恥心のレベルも個人差が大きそうですしね。
一番王道のパターン?として「大勢の前で叱られるところをみた時」でも、知人が叱られてるならまだ笑えるがそれ以外だとちょっと見てて嫌になります。
自分があの立場だったらと思うとなんか押し潰されそうになりますな~。
さて、そんな私がこれに当てはまるかはともかく心当たりのある部分について触れていきたい。
TBSの「ニンゲン観察バラエティ モニタリング」が見られない
私が最も共感的羞恥を感じるのは思い出せる範囲ではこれです。
もはやダントツと言っても過言ではない!
多分ほとんどの人は同じ気持ちになると断言できる!
気がする…
強いていえば最近テレビ自体ニュース関連以外見てないのだがそれは置いておくとします(笑)
あの番組ではあらかじめターゲットがどういう目に遭うかが分かります。
「実は有名人が…」みたいなものはいいが、単純に騙すようなパターンはムリです。
喜ばしいドッキリはまだいけるが、笑い者にされる系はどうやらアウトのようです。
その前置きを知ったうえでその場面を見るとどうしても耐えられないというか、不快感というか、なんだがウズウズするんです。
恥ずかしさと色々入り交じってぐちゃぐちゃになるのです。
あれが辛いのなんのって…
これは人によって全然違う部分かと思います。
でないとあの番組の視聴率がそんな良くなることないと思います。
そんな関係で私はあの番組だけは恐らく二度と見ることはないと思います。
だってCMですら嫌になりますもん。
本編見たら入院するんじゃないか?
四度目の入院がそれだったら普通に恥ずかしい…
そんな感じでもはやアレルギーではないかというくらいに勝手に毛嫌いしているのであります。
とりあえず番組に謝っておく。
悪いな!(反省するとは言ってない)
親しい人や知り合いよりも赤の他人の方がキツく感じやすい
この共感的羞恥は状況によっても違いが大きいようでして、全く知らない大勢の人に見られる方が恥ずかしく感じやすい傾向にあるようです。
これは自分自身が対象でも同じですかね。
確かに友達に見られるのとでは全く気持ちの余裕が違う気がします。
どこかに安心感みたいなのを感じているからだろうか?
ネタにしやすい部分も大きそうです。
やはり世間からの目という部分に意識がいきやすくなって羞恥心を感じやすくなってしまうのか?と考えてみたがとうなんでしょうね~。
もしかして自分には八方美人の素質があるとか…
嫌いなタイプなのに自分がそれだとしたらもう破滅を選びたくなりますな。
とにかく非常に共感できる所が多いのだが、もう一つ気になることがありまして、それは皆も同じくなのか疑問です。
次はそれについて話したいと思います。
不意の羞恥については意外と我慢できる
まずどういう意味かと言うと、誰かと一緒にいて急にその場面に遭遇した時のことです。
その場で突然そういうシチュエーションになったとしても、私は意外と羞恥心は感じないように思える。
「何やってんのもう恥ずかしいな~」と友達を諭すくらいの余裕はあります。
実体験として友達と電車に乗っていた時に傘を持っていたのだが、その友達がドアが開いた時に傘を電車とホームの隙間に落としたのです。
勿論周りにはそれなりに人が乗っており、かなり白い目で見られました。
けどとりあえず降りて、駅員に落とし物を取ってもらい難なく事を終えました。
あの時は共感的羞恥というものは大して感じなかったと記憶しています。
7~8年前だったかと思いますが、それ以降に急に共感的羞恥が芽生えたとは考えにくいかと思います。
なので私は不意の出来事に対しては問題なさそうです。
先で挙げたあらかじめ分かっているパターンでのみ私は共感的羞恥が起こるようです。
これはタイミング関係なく羞恥心を感じるのが過半数なのか気になる部分であります。
皆さんはどういうシチュエーションが苦手ですかね?
さて、簡単に共感的羞恥についてまとめたが共感できる部分がありましたかね。
日常で不便を感じたことはありませんが、やっぱり気分の良いことではないので何とかならんかと考えたが無理か?
生まれもった性なのか、成長の過程の何かが関係するのか気になることが多い話題です。
とりあえず人を笑い者にするのは止めようと思いました(小並感)
人として止めておけというのは今更というかごもっともかと思います!
ではまた