食べ歩きまくる難病アトピー性脊髄炎ブログ( Intractable Disease Atopic Transverse Myelitis Blog)

年間3000km以上ウォーキング(リハビリ)して沢山食べて生きている難病患者です。主に希少難病の存在や経過、散歩やラーメン類について語る!

難病発症で下がったQOLをなるべく取り戻したい人達に「諦め」と「妥協」が大事ということを伝えたい。無い物ねだりが逆に自分を追い詰めているパターンの人は今一度思い直すべし!

こんにちは
指定難病アトピー性脊髄炎(Atopic Myelitis)三年目になったそれなぁんです。

三年目となると社会的には初心者マークが抜けたくらいでしょうかね。
私はまだペーペーですが、少しだけ自分の身体について理解することが出来たと思っています。


今回お話したいのは所謂「Quality Of Life」ことQOL関連です。

言葉は聞くが普段意識しない言葉ランキング上位に入りそうな単語です。


さて、健康体な人が突然難病になれば100%QOLは下がるはずです。

逆に上がる人なんていないよね…?まさかね。


その下がったQOLを以前のレベルに上げるにはどうすればいいのか?
一度は考えると思います。

けどその方法は私は存在しないと思っています。


健康体の時以上に上げるのは無理ゲーです。
とどのつまり病が完治しない限りは無理と言ってもいい。

最低でも寛解までいけば可能だとは思いますが…


けど少しでも取り戻す方法はあると思っています。

上げるのではなく少しでも「取り戻す」にはどうするべきか?

今回はその方法について私の考えを基にお話したいと思います。

実際に私がやってみて少しは効果を実感している部分です。


「諦め」と「妥協」の考え方が大事?

病気によって発生した身体の不調、症状は人によって全く違うかと思いますが絶対的な共通点を挙げるとすれば「不快であること」ですかね。

身体が動かない、上手く動かせない、感覚障害がするとか諸々…

まるで障害物競走みたい?

それが治る見込みがあるならば勿論全力で治療に取り組むべきだとは思います。

例え時間がかかるにしても治るのであればね。



しかし残念なことに難病にはその見込みがないことが多い。

そもそも研究が進まないことが多い。

何故なら患者が少ないし、例の少ない病気に予算はそんなに注ぎ込めない。

難病の治療法と癌の治療法の研究、もしどちらの優先順位が上かと聞かれたら私は後者を選びますね。


長生きすれば何れは誰もが経験するであろう病気と運悪く少人数が発症する難病、綺麗事抜きに考えればそうなるのは当然とも言える。


そのうえ難病は経過として慢性や進行性で悪化していくのは珍しくない。
対症療法程度でその場しのぎをするのがやっとな事が多いのが現実です。



治したいと考えるのは当然だが、その見込みがないのであればその考えは逆に精神面で追い詰めることになります。

だからこそ「諦め」も大事だと思うのです。

自暴自棄になるとは違うが、開き直りの精神は意外と活用できる!

もし幸運にも治療法が見つかればそれは儲けもんということで良いじゃない?

宝くじにでも当たったと思ってさ。


私がこの三年間で学んだ一つの知恵とでも言うべきか…


というのも最初は私も自分の病気について無知だったので、一回目の入院で劇的に良くなって意外と大丈夫だと思ってしまいました。

ところがわずか2ヶ月後に再発し病院戻り。

ここで難病が一筋縄ではいかないことを理解しました。
むしろ人生オワタ/(^o^)\とね。

その時はやはりもう治らないのかとか、身体が動かなくなったらどうするかとか悩みましたが…

もうそうならば仕方ない!
考えたところで現実は変わらない!

そう割りきることにしました。

自分が医者になって病気の研究でもするか?
それならまだどんな結果になっても納得いくかもしれませんが…

そんな非現実的な選択はできません。

どうにもできないことにうじうじ気を取られるのは時間と気力の無駄遣いです。

だから考えるのを止める!

これが諦めです。



私はとりあえず歩ければいいというスタンスなので、多少痺れが悪化しようが手が動かなくなろうがそれは構わないと思っています。

私は自分の足で散歩するのが命ですから。

足が動いてくれるのならばそれ以外は望みませんってね。

もし動かなくなったらどうするか?
多分ハードルをさらに下げることになるでしょう。

これが妥協という部分ですかね。



私の学んだ「諦め」と「妥協」というのはそういう感じです。

とりあえず自分の最低限の望みのラインを引いておいて、そこから上にあれば良いと考える。

私は個人的には楽に人生を過ごせるやり方かなと思っています。


「挑戦」するのも悪くないが、負の遺産を背負ながらやるにはあまりにもハード過ぎる。

そもそも挑戦する方向性が定まらないと意味がありません。

難病という意味不明な存在が相手だと尚更難しいと思います。

挑戦は余裕があるからこそできる芸当である!


なのでその二つの考えがQOLの維持に役立つと思っています。

上げるのは至難の技だが、それを少しでも取り戻したいというのならば日々私のような考え方を意識して欲しいですね。


付け足すならそれを毎日考えるのが重要です。
プラシーボ効果なのか何なのか分からないが、それが大事!

悩めと言ってるのではないので誤解なさらんように。




ということで私は今も底辺をヒッソリ歩きながら人生を模索中です。

以前言ったかもしれないが私は早死にするのが目標なので遠い未来のことは全く考えていません。

先の長い人生が不安なら短くすればよくないですか?
そういう考えは全く論理的ではないとは思いません。

それだけで不安は不思議と薄まるものです。


とりあえず私は病気の存在を知らしめるために今はクモの巣を張り巡らせることに集中するかね。

地道で果てしない道のり…

ではまた